シリーズ(5)日本の国民皆保険制度の過去・現在・未来(2009/10 掲載)

埼玉県医師会会長(当時) 吉原 忠男

日本の医療制度は崩壊しつつあるという見方は、多くの人々の間で一致している。既に破壊されたと言い切る人々もいる。いままで「世界に冠たる」と形容詞がつけられた日本の国民皆保険制度がなぜ崩壊したか、制度疲労が蓄積してきたからということも一つの見方だが、もっとも大きな理由は戦後厚生省によって医療費削減が執拗に続けられて来たことにあり、それに止めを刺したものは、2001年4月小泉第一次内閣の医療改革以来、約5年半続いた社会保障費自然増分のうち約2,200億円削減と、2006年史上最高額の診療報酬削減(マイナス3.16%)を敢行したこと、無理な入院基本料の設定等(後述・新看護配置基準の項)である。小泉元首相は、小さな政府を志向し国民の共助制度を無視して、あまりにも市場原理主義・規制改革・民間開放に傾いた施策を強行した。結果は、国民健康保険を圧縮して医療を崩壊させたばかりではなく、生産現場への派遣解禁など非正規雇用を拡大したため若者達を主とした勤労者層を苦しめる格差社会を出現させた。例えば、タクシー業界への大手会社のタクシー車参入の規制解除をしたため、タクシー運転手の収入は激減した。待ち時間を計算に入れると時給500円を切ることもしばしばだという。庶民に不満が渦巻き、日本人の倫理観まで覆されつつある。唯一金融機関の不良債権処理が加速したことを功績にあげる人がいるが、これとて業界大手を助けただけのことだった。

このような小泉医療改革の負の遺産については、小生の『医療制度を考えるシリーズ(4)』(埼玉県医師会ホームページ)に詳しく述べてあるのでご参照頂ければと思う。ここで私はこういう政策が発生した下地について簡単に述べてから、今後の展望を述べたい。【この文は第23回日本臨床内科医学会(平成21年10月11日)シンポジウムの講演内容を加筆訂正したものです】

【目 次】

T 日本の国民皆保険制度の歴史的背景

日本の国民皆保険制度は第二次大戦前にその種が撒かれていた(図表1)。その成り立ちを知らずに、国民皆保険制度の今後を語ることは出来ないので、若干冗長になるが一応の成立経過を各国と比較しつつ述べておきたい。お急ぎの方は図表1、2、3、4をご覧の上、目次のUに移っていただきたい。前半の日本の経過は主として埼玉県医師会が出版した年表に基づいている(主として註1、269〜305頁の年表、及び註2を参照した)。

図表1(拡大版)

最初は明治30年以前(1900年以前)に、ビスマルク首相がドイツに導入した公的疾病保険制度が日本に紹介され、幾つかの公的私的共済組合が出来た。しかし健康保険法が制定されたのは大正11年であり、12年に関東大震災があったため延期され、全面的に実施されたのは昭和2年(1927年)であった。日医(初代・北里柴三郎会長)が組合と診療契約を締結した。すでにこの頃から「同一疾病同一保険医」という言葉がみられることは、最近顰蹙をかった後期高齢者医療制度の中の同じ言葉のルーツがここにあったことを窺わせ、現在の厚労省官僚もこの辺を読んでいたのだと思う。このときは団体自由選択主義、人頭割りの支払い制度だった。

この19世紀末頃より、世界各国の軍備拡張競争と牽制し合い、そしてアメリカの株安に始まる世界不況が日本にも押し寄せてきた。また国内でも日清、日露戦争後の特需が崩壊し金融恐慌を抱えていた。折から欧米諸国は植民地政策のさ中で覇権を争っており、日本は既に満州、台湾、中国に進出していた。大型財閥の成長と農村不況や失業率増加、そして社会主義に対する弾圧強化などで乱れきっていた国内では、近衛内閣総辞職の後を受けて東条英機が軍事政権を樹立した昭和16年(1941年)の翌年、昭和17年1月、健康保険法施行令が改正公布された。政府の富国強兵策の一つとして炭鉱・工業の職員の健康を守るために始められた。特別組合の強制設立、組合員の強制加入、保険医の強制指定、診療報酬の公定などである。この時、日医(第三代・稲田龍吉会長)の診療報酬点数計算規定が採用されている。初診料、再診料,往診料を最低点数に固定、分娩監視料を新設、レントゲン料や手術料の幅を持たせた中間点数としていた。都市部と農村部に分けて、点数は甲乙丙と3段階に分けられた(一点26銭から20銭)。この時「医療の対価は医療者が決めるべき」という主張をする発端があったことを、ほとんどの医師が見逃していることは残念なことだった。追いかけるようにして昭和19年終戦前年(4月)に社会保険診療報酬算定協議会が厚生省内に設置されている。

終戦後(20年8月10日)もこれらのシステムは継続されていたが、保険システムに乗れない零細商工業や農業などに従事していた国民は大勢いたし、開業医師の多くはある時払いなどの自由診療を行っていた。昭和21年にインフレによって医薬品が高騰したため、日医の要望もあり、診療報酬の大幅引き上げがあった。一点単価は大都市1円50銭、市1円30銭、その他1円だった。この点数の地域格差は昭和32年まで続いた。この32年に単価は一律となったが、甲表は技術料重視、乙表は従来どおりだった。この年武見太郎氏が日医第11代会長に就任している。

この頃より、支払い者でもある厚生省の締め付けは厳しくなり、医師会とのせめぎ合いは激しさを増してきた。同じく支払い側の組合との論争も激しくなった。厚生大臣が中医協の新委員について日医側を除く11名を強行任命した事に反発して、日医側委員は全員辞任届出を出している(昭和34年)。

昭和35年2月19日(日曜日)、日医は全国保険医の総辞退のワンステップとして一斉休診を行った。理由は『四項目要望書』にある。当時の保険医療の問題点が集約されている。

これに対して、一斉休診の事態収拾に政府と厚生省が動き、休診は一日で終わった。

一斉休診は全国で行われ、開業医の4割、約2万人が集会に参加したが日曜とはいえ、保安要員を各県医師会が置いたため特別な事故はなかった。政府は次の『四項目合意書』を出し(池田勇人総理大臣、古井喜美厚生大臣)、その時は保険医総辞退は避けられた。

これらの合意事項は池田改造内閣のもと、灘尾厚生大臣、田中角栄政調会長らとの懇談で生まれたが、田中氏が「国民のためにならない医療を自民党がやるのか」と言われるのを最も嫌がっていることを、武見氏が知っていてわざと抽象的な文章にした、と武見氏自身が語っているのだが、抽象的なために多くの国会議員にも医師会員にも理解されず、医療制度闘争は激化していった

昭和36年4月1日に本当の意味の国民皆保険制度が実現したが、上述の「四項目合意」は7月1日であることによっても、厚生省・健保組合と日医の抗争が常態化していたことが分かる。その後診療報酬点数は10%から19%アップされているが、抗争の焦点は社会保険制度のあり方となり、薬価基準を中心とした医薬行政、健保組合の裕福化とホテル並み保養所の建築などの浪費、政管健保の財政窮乏、組合より地方国民健康保険への退職者流入、引いては市町村国民健康保険の慢性的赤字化などが、日医と政府・厚生省との間で論議されてきた。

合意事項はいまだに実現されずにいる。むしろ細部にわたる制度改革にこだわり続けたため、昭和46年7月1日、中医協の「審議用メモ」(検査料や薬剤料の丸めを諮問したもの)が出たがこれは上記の「四項目合意書」に対する健保連や厚生省の抵抗の一つである(上記「実録日本医師会」183頁)。このメモをめぐり、日医は全国約65,000人の保険医を総辞退に突入させた。この時、国民健康保険および国鉄共済組合の加入者は除外した。日本の大動脈として国民の生活を守っている国鉄とは、前月覚書を取り交わしていた。この総辞退は7月31日、厚生省『12項目合意メモ』を交わして、中止された(図表2、註1、323頁)

図表2(拡大版)

このメモは表のとおりであるが、ほとんどがいまだに実現されないでいる。「四項目合意事項」よりは相当現実的になっており、保険制度の抜本改正、診療報酬の物価や人件費へのスライド、負担と給付の公平化、請求事務の簡素化などはいまでも医師達が求めているものである。しかし、いまだにそれらは実現していない。あの総辞退はなんだったのか。

以上で日本の国民皆保険制度が、戦前の封建制度的政府や大政翼賛会的軍事政権の下で萌芽し、戦後アメリカの影響を受けながら約70年かかって成立してきたことがお分かりと思う。世界に冠たるという形容詞には、世界では珍しい効率的なという意味がこめられている。1993年にアメリカでクリントン元大統領夫人がまとめた国民皆保険制度には多くの団体が反対した(図表3)。米国医師会は管理医療になることを嫌い、経営者団体は制度化された時に拠出金が増えることを嫌ったといわれる。現在オバマ大統領が再び国民皆保険制度の実現を目指しているが、約5,000万人いる無保険者を除いては皆、醒めてきている現状なので実現の可能性は少ないかもしれない。

図表3(拡大版)

国民皆保険制度は、ある程度大きな政府としての強制力がないと不可能なように思う。中国も韓国も国家として強制力を持っているため、国民皆保険制度を日本を手本にしてスタートしたものの、まだまだ安定した制度に成長しているとはいえない。

中国では1950年代初めまでは都市部を中心とした「公費医療」と農村部を中心とした「合作医療」、そして「労働保険医療制度」の三本立てで、制度設計が進められていたが、殆ど機能していなかったとみられる。つまり中国統計局の『中国統計年鑑・2007』によると、衛生・医療に対する政府の財政支出は、1978年には0元であり、1980年約100元、1990年約800元、2000年約2,900元、2006年約7,500元、となっているように、市場経済を取り込みつつ変化してきた社会主義国家は、保険制度によって、約30年間で約7,500倍の財政支出を強いられている(註3)。しかし、実態は依然として低給付・低負担であり、保険給付の制限が厳しい。2005年時点で都市部人口の44.8%、農村部人口で79.0%が無保険者といわれている(三菱化学テクノリサーチ・ネット)。

韓国では「医療保険制度」といわれているが、1959年に研究会が発足し、1961年5月朴正熙軍事政権が成立した後、保険制度についての考え方が変わった。つまり軍事政権の言論統制と反対勢力への弾圧が顕著となっていたが、一方では国民に対するアメとしての社会保障制度が利用された(註4)。1963年に医療保険法が制定され、軍人、公務員、労働者には強制加入が義務付けられたが、商店主など中小自営業者の収入把握率が低いため保険料率の格差や不公平性をめぐって制度は二転三転してきているが、1990年頃より「職場医療保険、地域医療保険、公・教医療保険」の三本にまとめられてきたが、金大中大統領の強大な権限のもと、統合化への道が展開してきた。しかし、依然として地域保険適用者の所得把握がネックとなったことと、職場保険の財政赤字(蓄積した積立金が枯渇し取り崩しが不可能となった)などの理由で混乱し、2009年に盧武鉉政権が国税庁傘下の「社保徴収公団」に国民健康保険や国民年金など全ての保険を一元化しようとしたが、各保険公団の反対にあっている。一元化によって保険者の自立性が失われることと、良質な医療の提供には独自の財源も必要だということを物語っている。現在は低負担低給付の基本理念のもとに制度設計が進められている。

本来、職種、各収入層や地域性に応じた公平かつ自立的な健康保険制度が運営されるには、民主的な話し合いや討議が行われるべきだが、皮肉なことに日本や他国の保険制度の成り立ちから分かるように、大きな政府としての強制力が基礎にあることは明白である。図表4のように日本は辛うじてリスクの社会化を持ち、比較的安定した与党政府のもとでやってきたのだが、小泉医療改革はアメリカ並みのリスクの個人化を基本とした格差社会に医療を引きずり下ろそうとしたわけである。多くの社会学者、経済学者達が、小さな政府として、国民自身の自己責任の範囲が拡がる医療や社会保障は困難であろうと述べている。図表4はそれらの学者の意見や数値から私が作ったものである。

図表4(拡大版)

中国のような大きな政府がいいとは私は言っていないし、ファッショは私の最も嫌う政治体制である。しかし、民主主義政治の中でも、ある程度まかせられる総合的に思考できるリーダーが必要だと思う。そういう意味でオバマの制度設計を興味深く見ている。私がオバマに忠告できる立場なら、医療保険制度を一元化統一といったことをすれば、失敗する確率が多い、と言うだろう。医療保険は先に述べたように職種、各地域特性、各収入層に応じた公平性のある共助的保険料率を設定し、セーフティネットとしての最低限の公平な医療を提供しなければならない。そのために、私は医療格差の生ずる可能性の強い混合診療の全面解禁に反対している。これをやると豊かな人々だけが最新の医療を受けられることになる(医師会ホームページ。シリーズ(12))。

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U 何故、医療費削減政策がとられ、医療が崩壊したか

自民党時代の小さな政府志向は社会保障制度になじまない。

幾つかの意見を紹介する。

1) 北海道大学政治学・法科学教授の山口二郎氏は、財界と政府の護送船団方式や族議員の存在、天下り官僚の横行などが、モラルハザードに官民ともに陥いらせている。旧自民党の小泉医療改革の中でも特に小さな政府を志向し、リスクの個人負担を多くし(保険会社の自由競争に任せる)、つまり小さな政府を目指しているが、「小さな政府=自由」という錯覚は止めよう、と言っておられる。山口教授はリスクの社会化、そして平等主義の再定義、自己責任領域と相互扶助領域の識別などの社会的インフラ整備、さらにシステムのセーフティ・ネットの構築なども説いておられる。

地方分権、三位一体政策なども小泉元首相は行おうとしたが、いい形で残ったものは少なかった。

2) 日本金融財政研究所所長の菊池英博氏は「未来にすくむな日本人……日本は財政危機ではない、日本国民のために我々の金を使おう」という講演の中で、小泉元首相のもとで構造改革が推し進められた結果、「デフレ下での緊縮財政と不必要な不良債権加速処理によって財政赤字の拡大、政府債務の増加、そして金融システムの弱体化を招いた。このツケを医療費圧縮に向けた」ことが崩壊を招いたと述べておられる。私も全く同感である。

しかも、構造改革は国民を貧困にしており、収入格差を生みだし、国民のモラルは低下した。そして子どもの教育にも極めて悪い影響を与えた。ここで、菊池氏は藤原正彦氏(「国家の品格」の著者)の言葉を引用している。「刺客を送るような選挙をしていては教育など出来ない」。

図表5(拡大版)

そして菊池氏は、よく知られているように医療の対GDP比率が先進国中日本は最下位である、(図表5)高齢化社会に向って社会保障費を拡大するには経済規模(名目GDP)を拡大し税収を増加させその中で社会保障費を吸収させるべきである、日本は小さすぎる政府だから駄目なのだと、述べておられた。2005年のOECDデータを氏のレジメから再掲させていただく。(図表6)

図表6(拡大版)

更に氏は公共投資を増やすべきであると主張しておられた。デフレ時に緊縮財政を強行する愚を避けた例は、歴史的にも例があるという。それは1929年から1933年までのアメリカ大恐慌、1930年から1931年までの昭和恐慌であり、その時アメリカはニューディール政策で、日本は高橋是清による公共投資の増加による税収の増加で切り抜けた。クリントンは1993年のデフレ経済不況の時に軍事費を削減しその分を公共投資にまわし民需を拡大させ高所得者の増税を行って5年目に黒字財政としましたし、ブッシュもまた2003年秋にデフレ傾向が現れた時所得減税、国債発行(その時日本は33兆円の米国債を引き受けた)、景気振興策をとってなんとか切り抜けた。

一方、小泉、竹中コンビは「公共投資を縮小すれば財政の赤字が縮小する」と間違ったことを言って民間資本による官製市場開放(参照;県医師会ホームページ・シリーズ1)などという愚かなことをした。そのしわ寄せは医療改革にまで及び、今苦労しているのは、失業、給与格差に苦しむ人たち、病める人々や高齢者である。

一方において、当時の竹中経済財政政策担当大臣は、21年8月27日頃の各紙の報道によると、人材派遣会社最大手のパソナグループ取締役会長に選任されたという。年俸は約1億円だろうと財界関係者は言っている。派遣社員で突然首を切られて、日比谷公園で炊き出しを受けている人々はこれをどう見ているのだろうか。

ところで、日本は財政危機ではない、政策危機である。と菊池氏は言っている。(図表7)

図表7(拡大版)

この表のように、財務省の発表は「粗債務」(借り入れ、834兆円)だけであり、政府が保有している「金融資産」(580兆円)を控除した「純債務」でみれば、政府債務は254兆円に過ぎない。財務省は「日本は834兆円もの債務を抱えている。これはGDPの160%にものぼる危機的数字だ」といって国民を洗脳しているが、これは「粗債務」であり、国際的には一国の債務を的確に判断するには「純債務」を使うという。つまり834-580=254兆円が国の債務として判断されるので、アメリカの学者や識者に聞いても誰も日本が財政危機だとは思っていないそうだ。現実に2002年4月、日本国債の格付けがアメリカで引き下げられた時、日本政府の黒田東彦財務官(当時)は、ムーディーズなど米国の国債格付け会社に対し「国債の格下げは適切ではない。純債務で見れば日本は財政危機ではない。日本は世界最大の貯蓄超過国であり、国債はほとんど国内で消化されている。世界最大の経常収支黒字国である」と世界に発信している、と菊池氏は述べている。氏は更に、税制調査会会長を10年間務められた加藤 寛氏(千葉商科大学名誉学長)も日本は財政危機ではないと述べておられることを紹介している(文芸春秋2008年2月特別号)。菊池氏の意見に異論を唱える学者もいるが、これはこれで一つの意見であり、我々は多くの人々の意見を聞かなければならない。

また、小泉氏の誤った構造改革がなかったら、日本はGDPが英米並みのGDP増加率なら2006年には670兆円で税収70兆円、ユーロ並なら税収60兆円になると菊池氏は推計値を出している。

しかるに、日本の2006年税収は45〜47兆円である。

日本のGDPを上げれば税収が増加し、一般会計もふくらみ、医療費を削減する必要はなくなる。そのためには国は公共投資を増加させ雇用創出を計るべきである。

3) 昨年の毎日新聞に「医療クライシス」というシリーズが掲載された(20年6月20日)。

ベッド数650の横浜労災病院では約1,000人もの職員が働いていることを紹介した上で、「医療立国論」の著者、大村昭人帝京大学教授の「医療機関の存在による経済波及効果は非常に大きい。医療に関する研究機関や産業が広がり、雇用も生み出す。そもそも、医療機関自体が、治療により労働力を再生産する場所でもある」という言葉を引用していた。これはここ3、4年間私が「医療は消費ではない。医療費を支出することは国民の生産能力を高めるのだから、投資なのだ」と言い続けてきたことと全く同意見でもある。

さらにこの欄では、宮澤健一一橋大学名誉教授が、ある分野に投入した費用が他分野の生産や雇用にどれだけ波及するのかを計算した結果を紹介している。これによると、連鎖的な波及効果まで含めた「生産誘発係数」は、医療は4.3で公共事業の4.1を上回っている。医療に1兆円投入すると他分野で3.3兆円の生産を誘発することになる数字だという。医療機関が赤字だとしても、他分野の生産や雇用には大きな効果があるのだ。宮澤名誉教授は2000年の産業関連表の基礎データを基に全産業を医療や介護、農林水産業、公共事業など56分野に再編成した関連表を独自に作成し、上のような係数をはじき出したそうだ。日医でも2007年のワーキングペーパーで医療・介護には経済波及効果があると述べている。

また、2008年の厚生労働白書によると「医療や介護、社会福祉などの産業については、……各産業の生産などをどの程度誘発するかを示す総波及効果が全産業平均より高い」という。まさにその通りで宮澤教授の「生産誘発係数」はそのことを数値で示したものといえる。マスコミや厚労省の人達がこのことに気付いてくれたことを、医療費は悪だということは間違いだった、という社会的背景が出来たと、評価している。

4) 日本福祉大学教授・副学長の仁木 立氏は2009年4月12日に臨床内科医学会でご講演を頂いたが「小さな政府を理論的に支えてきた主流派経済学(新古典派経済学)のゆきづまり、ケインズ経済学を含む制度派経済学の復権が進む可能性が大きい」と述べておられた。そして日本におけるアメリカ流の市場原理主義の破綻が誰の目にも明らかになった、としておられた。

そして2009年以降は医療政策は「中福祉・中負担」路線へ転換されるだろうと予測しておられる。これはまったく私の考えと同じで、後述するが財政の倹約や特別会計の余剰金の捻出でお茶を濁しても付け焼刃に過ぎず、恒久的に医療制度を安定させるためには、国民のコンセンサスを得て消費税を上げるほかはないと考える。

5) 医療への誤った観念を政治家や官僚が持っていた

制度の歴史の項で述べたように、医療費の支払い側としての政府、そして制度が確立されてからの支払側である健康保険組合も、医療提供者団体としての日本医師会とは、常に対峙し争ってきた。その流れの中で、医療費の増加は悪だという観念が発生してきた。

その顕著な例を挙げるなら、1983年頃、吉村元厚生省事務次官が当時しきりに言いふらした「医療費亡国論」である。これは日本の医療に非常に悪い影響を与えた。それによって、政治家や官僚たちの中には洗脳されて医療費は悪だ、ひいては日医は悪しき圧力団体であると思い込む人達が出てきた。吉村氏の中には多分当時増加しつつある医療費が国家財政の中で大きな部分を占めていくのではないかという危惧があったのかもしれないという、無知に近い善意の見方もあるだろう。

図表8(拡大版)

しかし、図表8のように、毎年社会保障費の自然増数千億から1兆円近くはあっても、医療費は急増していない。本来制度維持のために医療費を含む社会保障費自然増分を増額しなければならないものを逆に2,200億円ずつ削減してきた小泉元首相達や吉村氏は明らかに勘違いしている。私は常々「医療と教育は消費ではなくて国力増進のための投資である」と主張してきているが、医療費亡国論を信ずる人達には、吉村氏をはじめとして、そういう大局的な見方が欠落している。そういう人々が延々と医師達を敵視しながら行ってきた医療政治が地域医療を壊してきた。

本年10月11日に日本臨床内科医学会で、シンポジウムの一つ「日本の医療保障制度の現状と未来」のシンポジストとして、権丈善一慶応大学教授、古川俊治国会議員、そして、私が話をしたが、その時権丈氏は医療政策の過ちについて何故日医はもっと強く声をあげて是正しなかったのかと言っておられた。全く同感である。

6) 伊古田純道達の「医師の誓い」を再び現代に

秩父の伊古田純道医師は嘉永5年(1852年)に甥の岡田均平とともに日本で最初に帝王切開を成功させたことで知られているが、私は特に、伊古田純道がおそらく主導して、慶応4年2月(1868年)に「秩父郡医師の協約書」が多くの医師たちの間で取り交わされていたことに、驚きを禁じえない。

医療政策を語るときこそ、私はこの項を追加しなければならない。図表9をご覧頂きたい(註5)。簡単に述べておく。

図表9(拡大版)

1、2は医師として当然の事だが、3、4のように、江戸末期「豪奢を戒めよ」とか「国産の薬品を使え」と言っていることは驚く他はない。また5は先に述べたUの5項のように医療を理解しない政治家や官僚、そして医師を誹謗する人々によく説明しなさい、IC(インフォームド・コンセント)を尽くしなさい、と教えている。6は無禄の医師、つまり勤務医ではない自営の医師は「あまり薬で儲けてはいけないが、原価程度の代金は請求してよい」と言っている。医師は技術で生きるべきだと言い、医の倫理高揚を考えていた武見太郎先生は、秩父の医師達が作ったこの文を見ていたのだろうか。

江戸時代に既に「豪奢を戒め、貧家の病苦も救うこと」などと述べた背景を考えれば、昔から庶民の医師を見る目は決して甘くはなかった、という事実があったのだろう。

このように、医療費は悪だという考えの背景には、もう一つ医師達の生活に対する批判もあることを、とくに開業医である我々は知っていて暮らさねばならない。本人は普通だと思っていてもその日常の生活は華美だと、庶民は見てしまう。スポーツ選手や俳優、そして富裕層の人々が1,000万円前後の車を乗り回し、高級な料理店に行っても、人々はなんとも言わないが、医師が同じ事をすると、金儲けしているんだな、と反感を持つ人は多い。一部の勤務医が医療機関経営者に抱いている感情にも似たようなものがある。4、5年前、日医の代議員会に特別発言を求めてきた二名の勤務医がいた。代議員ではないので、会が終わってから会場に入ってもらい発言させた。その中の一人が「開業医は我々の血と汗と涙のうえにあぐらをかいているではないか」と言った。我々はあきれ果てた。私は大変な誤解をしていると思ったし、日医も我々も、勤務医の待遇改善をも主張しているのに失礼だとも思った。しかし、その人にはそう思うような事実もあったのかもしれないと私は感じた。それじゃあ、医者は趣味でいい車も乗れないし美味いものも食べられないじゃないか、という反論も出るだろう。潔癖な政治家も、我々医師と同様に思うだろう。

図表10(拡大版)

図表10にあるように、他職種に比べて医師の収入は一般的に少ないし、この表には出ていないが、日医の調査では開業医の収入は勤務医より通常は若干少ない。気取った言い方かもしれないが、これはいわゆるノーブレス・オブリージュなんだと思う他はない。それを120年も前に既に説いているのが、伊古田純道達である。医療制度改革で国民のコンセンサスを得るためには、図表9にある事項は、我々開業医も勤務医も襟を糺(ただ)さねばならない。

7) このU項の結論

医療費削減政策は全くの過ちだったが、長い間削減に傾いていた財務省・厚労省官僚、そして小泉元首相らの大いなる勘違いによって、医療などを含む社会保障は崩壊して来た。自己責任でやれという冷ややかな社会、新自由主義の元祖フリードマンの主張のように能力のあるものが格差社会の頂点にいるのは当然だという考え、ひいては社会的共助精神の崩壊、自分勝手、礼節など知ったことではない、という悪しき社会現象が著名になった。しかし小泉元首相は知らずに踊らされたという見方もあるが、竹中元経済財政政策担当大臣、規制改革・民間開放推進会議の宮内議長を筆頭とする財界の委員たちは、それが分かってやっていた確信犯、と私は思っている。しかし小さな政府にして、国がやるべきことを官から民へ投げてきた結果が今判明しつつある。

東京大学名誉教授・経済学者・数学者の宇沢弘文氏が「経済に医療を合わせるのではなく医療に経済が合わせるべき」、と言っているように、フリードマンが主導した市場原理主義を信奉した小泉改革は間違いだった。宇沢氏とフリードマンは昔論争していた人達である(2009年10月3日、関東甲信越医師会連合会・高崎市での講演「医療と社会的共通資本」)。

例えば、市場原理主義によって儲かる人達はいる。それは簡保の宿の投売り問題で大儲けをしようとしたのはオリックスの宮内会長であるし、先に述べた、竹中氏の巨額年俸問題でも分かるように、得する一握りの人々はいるのだ。証券取引法違反で一審は有罪となった堀江貴文氏もしかり。

堀江氏を「兄弟」と呼び、平成20年参院選に押し出した自民党の武部幹事長を始めとする政治家たちもしかりである。そして前から周到に規制緩和を準備し、その流れの中で設立された村上ファンドに手を貸していたオリックスの宮内義彦氏やファンドに出資していた福井俊彦元日銀総裁等、こういう人達のモラルの低下が嘆かわしい。

今年の衆院選で「偉大なるイエスマン武部氏」は比例制でまた当選した。しかし、21年8月の衆院選挙で大敗したうねりの中から、もう勘弁してくれよ、という国民の悲鳴が私には聞こえる。今年9月28日、自民党総裁選が行われ、谷垣禎一、河野太郎、西村康稔の3氏が立候補し、谷垣氏が61%の票を確保して選任された。しかし、3人とも自民党を再生させるほどのパワーも感じられず、言っていることも舌足らずだ。谷垣氏は「みんなで頑張ろうぜ」と言っていたが、何を頑張るのか意味不明だ。もっと政策的な強いアピールが出来ないものか。小泉改革の市場原理主義が行過ぎたから反省して格差社会をなくそうという、反省の言葉は3人ともなかった辛うじて最下位の西村氏が小泉医療改革について小さな声で言ったが、迫力に欠けた。河野氏に至っては小さな政府を目指すとはっきり言ったが、市場原理主義が医療や社会のシステムを破壊している事すら分かっていない不勉強な人である。こういうことでは自民党の再生・政権奪取は当分駄目だろう。

しかし、自民党の中にも良識や正義感のある人たちは多い。私のこのシリーズ3で述べたが、尾辻秀久元厚労大臣、鳩山邦夫元総務相などがそういう人達だ。こういう人達が総裁になるべきではなかったか。とにかく鳩山氏は強かった。全国の簡保の宿を日本郵政株式会社が一括してオリックスの宮内氏に、79施設総額109億円(2008年固定資産評価額857億円)という7分の1で投売りしようとしたことを阻止し、西川日本郵政株式会社社長を罷免せよといった鳩山氏は国民的評価が高かった。埼玉では、黒字のラフレ埼玉や寄居簡保の宿も破格の値段でオリックスに売られようとしていた。しかし、麻生首相は「郵政改革には反対だった」などと言っていたのに、鳩山氏を更迭し西川氏を温存した。国民はがっかりし、ますます自民党離れが加速した。衆院選挙で麻生氏は地方区を必死で応援して歩いたが、誰も相手にせず逆効果だった。

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V 国民皆保険制度崩壊の現場

1.医療難民・介護難民

病床規制で患者さんが放り出されている

図表11(拡大版)

図表11をご覧頂きたい。厚労省は2008年現在23万床ある医療療養病床数を2012年には15万床に減らすと言っていた。療養病床に入院している患者さんの中には社会的入院(たいしたこともないのに介護者がいないなどの理由で自宅にいられないから入院しているのだと厚労省等は言う)だから減らせ、と言っているのだ。しかし、日医の調査では一番軽症の医療区分1の患者さんでも約二割は医療が必要と分かっている。それを勘案すると医療療養病床数は2015年には26万床は必要となる。それを強引に15万床に減らすと言っているのだ。さらに表の右欄のように2008年には14万人の要介護者は、日医の試算では2012年は15万人に増えると言っているものをゼロにすると言っている。要するに、介護難民15万人に加えて医療難民が11万人となり、合計26万人の弱者を放り出すことになる

特に介護療養病床を2012年にゼロにするという考えは非人間的極まりない。被介護者には子どもや若年者もいることを厚労省の官僚は忘れているのか。

埼玉県では国の指示に従わず、県医師会と協議し、県内の実情にあったベッド数にしたのでほとんど減らなかった。他県でもそういうことはやっていたから、国の目標は大きくずれて3万床しか減っていない(日経新聞 21年7月16日)。厚労省が机上の空論を現場に押し付けることも医療崩壊の原因の一つである。役人は自分の両親たちが医療難民にはならない、我々は公的施設で何とか成ると、高をくくっているとしか思えない。

彼らを看取るのは、周囲の介護施設、開業医、介護者だが、マンパワーの関係で到底全ての患者さんには対応できない。在宅療養支援診療所は疲労困憊し、全国診療所の一割しか在宅介助に手を出していない。家族は働きに行ってしまい、核家族も増えており、老人の孤独死などが多発している。ちなみに埼玉県内の特別養護老人ホームの待機者は約3,700人余りである。施設定員は約1,600床だ。待機者もその家族も必死だから2、3ヶ所ダブって申し込む人もいるから、3,700人よりは少ないとしても2,000人前後が病にあえぎながら入院を待っている現況だ。この3,700人のうち要介護4以上の重症者は1,625人である。

私が在宅療養ではマンパワーが足りないから、施設介護のための病床を増やして欲しい、国の財源的支援が欲しいと機会あるごとに言っているのは、こういう事情による。

2.新看護配置基準による看護師狩りとモラルハザード

平成18年に決められた入院基本料の看護配置基準各ランクの比較表が図表12ある。

この中で看護配置7:1とか10:1とあるのは、一人の看護師が診る患者さん数である。1人で7人受け持つと1,555点(一点10円)で、1人で15人受け持つと954点と大幅に下がる。三食付で医療を受けて一日1万円にもならない病院ではやっていけない。食事抜き看護抜きのシティ・ホテルだって1万2、3千円はする。病院がいままでやってこられたのは経営者のコスト削減などの赤字覚悟の自助努力によるものである。

図表12(拡大版)

だからほとんどの病院では看護師を必死で集めている。ところがニュースにもなったように、東京の大学病院などでは地方を勧誘して回りごっそりと新卒看護師を青田刈りした。看護師にも都会憧れやブランド志向があるからどんどん都市部に集まる。地方の病院では13:1でも獲得できればいい方で、15:1すら獲得できない病院は病棟閉鎖するか廃院に追い込まれている。

集まりすぎた大学病院などでは、さらにテストをして優秀な看護師だけ雇い、残りは周囲に勝手に行ってください、という態度である。自分の所だけよければいい、というモラルハザード、自分だけ都会でかっこよく暮らせればいい、というモラルハザード、恐ろしい制度を厚労省は作ったものである。

私は、急性期病棟や手術棟、NICUのように、どうしても人手が必要な病棟にだけ7:1基準を適用すべきで、病院全体に7:1を当てはめてしまうのはマンパワーの無駄が出るから止めるべきだと主張している。全病棟に7:1の配置をすると暇な病棟も出てくるのは当然である。私は、何故このような悪法が成立したかうすうす背景は想像付くものの、こういう背景の力学は日本の医療のために残念である。

しかも、看護師があまり集まらず15:1以下の特別Tとなると、1泊三食看護付きで5,750円という値段には外国人が聞いて腰を抜かす。民宿でもそんな安いところはないと気の毒そうな顔をする。入院基本料は15:1未満の特別Tランク以上せめて10,000円プラスとボトムアップし、常時労働基準法に違反しながら頑張っている医師達の手当てを倍増すべきである。勤務医達に8時間労働、3交代制は皆無の気の毒な状況である。

3.医師不足か偏在か

救急問題が顕在化してきたのは平成17年頃からである。つまり新医師臨床研修制度(以後新医師研修制度と呼ぶ)が医師偏在、医師不足の引き金となったことは事実である。平成16年に新医師研修制度が実施されてからのことである。16年から2年間私は日医の理事を務めたが、その時に私はこの研修制度はおかしいから止めるべきだと言っていたが、前の坪井会長時代からの懸案事項だということで、執行部で押し切られてしまった。

確かに先進諸国の中では医師数は少ないかもしれない。しかし、外国が必ずしも正しいとは言えない。むしろ外国は医師過剰といえる。日本の医療費が先進諸国よりはるかに低いことを見て欲しい。更に医師数が1.5倍になれば医師たちが稼ぎ出す生活費・経費としての医療費も1.5倍になることに気づいている人たちは少ない。また数を増やす莫大な教育費用(後述する)を現在の医師達の給与に回したほうが、医師たちのモチベーションは上がる。

図表13の通り日医が全国の大学教授2,000人余りに行ったアンケート調査でも圧倒的に医師偏在、医師不足はこの新医師研修制度のために起こったと答えている。

図表13(拡大版)

この制度は新卒の医師に国が月給30万円程度出すからどこの病院にいって研修してもよい、というものである。新医師にバイトなどせずに十分勉強して安全な医療を覚えてもらおうと、いうことで始まったものらしいが、私に言わせれば昔の医局時代にバイトに行って、上の先生に手取り足取り技術を指導されながら、冷や汗もかきながら覚えた技術の方が身につくと思う。注射などの簡単な臨床実技も満足に出来ない若い医師に30万円上げてよく勉強しなさい、という方針は何かお坊ちゃん教育のようで、その通りに必死で勉強する若者がいるかどうか、わが身の学生時代を振り返っても忸怩たるものがある。

これは、文科省と厚労省の話し合いで受け入れ病院にその財源が出ているが、医師賠償責任保険とかいろいろ経費を差し引いて研修医師に渡されているようだ。研修医を指導する数年の経験のある指導医師の方が薄給という珍妙な現象が起きているところもあり、大学側が苦慮している。

第一、看護師のところでも書いたが、お金をやるからどこへでも行きなさい、と言ったら、若者は都会生活に憧れ、ブランド病院に集まってしまうに決まっている。現代は育ててもらった大学に恩義を感じるというような若者は少なくなったという。医学生一人を6年間みっちりと仕込み、国家試験に合格させるまでに、大学は生徒から集める月謝以外に数千万から1億円の支出をしていると言われている。

それはある種の奨学金のようなものだから、大学側も君たちを一人前にするために月謝以外にこれだけかかったんだよ、と情報公開すべきである。そして、私立大学卒業生は4年間程度自分の大学に止まる、国公立大学では5年間程度卒業した大学に止まることを義務付けても、社会理念には反しないと思う。もし、それを強制したくないというなら各県の大学で始めたように奨学金を提供して、貸与期間の1.5倍程度の母校勤務の義務化、市町村や県の奨学金のように6から9年間の勤務をした場合の全額免除というような引止め作戦を、全学生に大学が提供して教育費によって何年間かでも義務付けるべきである。とにかく今の新医師研修制度は改正すべきで、大学カリキュラム編成に臨床部分の時間を多くして、一年程度に短縮すること、また新人に過大な給与を与えるより指導医にも配分するべきであること、などここ2、3年の苦い経験を検証してやって欲しい。

なんらかの形で母校研修を義務付ける方が、ちまちまと医師派遣制度などやっているより、その方が一挙に医師の偏在や不足は解決すると思う。

医師数に関しては、対人口10万人当たりの医師数が日本は低いということは認める。しかし、十何年も前から先進国中でその数値は低いと言われながら、医師偏在、医師不足による周産期・小児科の救急問題があまり目立たなかった現象を見逃してはいけない。つまり、科目によって入局者数が異なることの検証と、診療料を全科同様としているいまの診療報酬制度の改革も必要である。需要や医療事故の発生率によって科目ごとの格差があってよい。新卒医師が高収入を望むなら、格差の高い科目を選ぶのは自由である。今、国が考え始めている単なる科目別の制限などナンセンスである。

医療制度の歴史の項で述べたが、妥当な医療の対価は医療者自身が決めるべきだある。他の業種では、大工さんでも、自動車会社や電気機器メーカーでも自分の技術や原価を計算して決めているではないか。

4.国民健康保険の窮状

19年度の市町村国保加入者の保険料収納率は全国平均90.7%ということや組合員の高齢化や低所得者の増加などのマイナス要因もあり、3787億円の赤字となった。前年度より444億円増えている。

さらに20年度以後は収納率の高い後期高齢者が抜けることや、組合健保や協会けんぽから低所得者が大量に流入してくることが予想され、益々財政困難となるといわれている(国保新聞;2009年1月20日)。

特定健診問題については、その制度設計や実施方法が現場に馴染まないため、住民や医療機関の大半から不評を買っており、受診率が予定を大幅に下回っている。従って、このままでは各健保組合の保険率格差を付けるための指標とはならない。地道に現場の衛生状況から改善して受診率を高めて行き、医療費削減に成功した岩手県沢内村の深澤晟雄村長のような人は厚労省にはいないのだろうか。

全国国保を助けるためにも、後期高齢者医療制度の充実と国保への支援が必要とされる。

5.後期高齢者医療制度の本当の目的

一つの制度は潰すのも普通は簡単ではないが政治的革命でもあれば簡単であろう。例えば、今回の衆院選で大勝し内閣を樹立した民主党は後期高齢者医療制度を廃止すると言ってきた。しかし、制度を作ることはそれ以上に大変で、10年はかかるといわれている。それを無にすることは、関わった官僚達の月給その他の莫大な諸経費を捨てることになり(後述の図表15参照)、無駄遣いや経費節減を主張する新政府の方針とは相反することになるのではないか。多くの国民の意見を入れて、マニフェストに拘ることなく、無駄に経費をかけることなく慎重に検討して欲しい。

郵政改革だ、と叫んで他人の意見を聞かずに突っ走った小泉元首相の愚行を繰り返さないで欲しい。官僚よりのデータ収集や現地調査が不十分な時点で作ったマニフェストは金科玉条ではないし、誤っていることもある。後で訂正しても国民はそれを批判しないし理解できる。

もっとも民主党のマニフェストの詳細版をみると柔軟性はみられる。自民党が作った後期高齢者制度は廃止はするが、廃止に伴う国保の財政負担を国が支援、自治体への財政支援等はすると記載されてある。これは後述の図表14にあるように我々が考えている国が55%以上出すべきということと同様である。柔軟性をもって古い政策のよい部分は認める度量を持つことも党として考えているような気がしている。それは、これから党が大きく成長するために必要なことではないか。

日医は平成9年7月29日に後期高齢者医療制度への展望を出している。それは高齢者全員を被保険者とする新しい老人医療保険制度の創設を提案したものである。続いて同9年8月8日に厚労省の医療制度抜本改革案が出された。そして、同年8月29日に自民党与党の「医療保険制度改革協議会」の建議書が提出され、この時の厚労省改革案に新しい高齢者医療制度の創設が盛り込まれている。菅直人元厚生大臣の時(1996年)もこの制度検討は進んでいた筈である。

後期高齢者医療制度が75歳以上の老人を差別しているとか姥捨て山だとか言う意見は、私は少しヒステリックになっていると思う。私ももうじきその歳になるが差別ともなんとも思わないし、負担が安くなったと喜んでいる高齢者も多い。高齢者にとってよい制度に育つことを祈っている。今はその育つ過程にある制度なのだから、良いところは取り入れてより良い制度に発展させて欲しいだけだ。尾辻元厚労大臣が、昨年ある雑誌で仁木 立氏、権丈善一氏との座談会でその経緯を冷静に述べているのでここに概略を載せておく。

「私は後期高齢者医療制度の議論の中心にいた一人と認識している。高齢者医療の問題は1973年(昭和48年)に実施された老人医療費の無料化にさかのぼる。その頃高齢者医療費が予想に反して急増し、財政的に維持が困難になってきたため、1983年に老人保健法が施行された。この制度は70歳以上を対象にし、最初の窓口負担を定額制度にしたが、1割に止めた。ところがそれでも維持は困難で、2002年度から毎年1歳ずつ引き上げて行き、2007年10月に75歳になった」と、尾辻氏は言っている。要するに元の老人保健法が財政的に行き詰まり、後期高齢者医療制度を考え出し、努力に努力を重ねてきてやっと75歳で食い止めている、という現実を私はよく理解している

だから、我々埼玉県医師会は、現在の後期高齢者医療制度にもっと国費を投入していくべきだ、と一つの案を提示している(図表14)

図表14(拡大版)

上の段が現状で下の段が我々埼玉県医師会の主張である。

現状は全体の50%が公費で、国の出し分はそのうち33.3%に過ぎない。残りの公費は県と市町村が8.3%である。40%が勤労者である現役世代からの支援金、10%が高齢者自身の保険料である。この他に高齢者は窓口負担金がかかる。

我々が主張しているのは下段のほうで、国が55%出せば県と市町村は7%ずつ出して69%が公費ということになる。そうすれば勤労者層の支援金も30%に減らせるし、高齢者はたった3%の保険料ですむ。窓口負担は受益者負担ということもあるので前政府が凍結した額は、できるだけ少なくして永続させる。

日医が公費9割を2007年のグランドデザインで主張していたことがある。財政上そのような主張が通るはずはないと私は思っている。何故なら、健康保険というものは、基本は互助精神であるから、社会全層の人々が負担してはじめて国民皆保険制度が成立する、そして国は税収から多くの部分を援助するべきと、考えている。しかし、保険制度では保険料を少しでも払えば権利を確保できるが、全額政府や地方自治体の負担とすると、アメリカにおけるメディケイド、メディケアと同様にお仕着せの医療に甘んずることになり、医療格差は必ず起こる。

民主党はやや柔軟性をもって検討し始めたように思える。後期高齢者医療制度という名前を変えることは賛成だし、新しい制度設計の中で古い制度のよい部分を取り入れるだけの度量を持ってほしい。

この試案には我々医師も或る程度共鳴できる部分もあった(「月間基金」18年7月号、尾形裕也九州大学医療経営・管理学教授、西澤寛俊全日本病院協会副会長・等の座談会)。しかし日本の国民皆保険制度の中長期的な安定運営を求めて平成18年の第一回医療制度改革法案が国会で成立した時、小泉内閣、経済財政諮問会議、そして規制改革会議などの影響が強く、財政主導の思想がこの制度を、医療費削減の道具としてねじ曲げてしまった。この時、多くの政党はもっと突っ込んだ審議をすべきだったと我々は考えている。民主党は平成18年に成立したこの法案に反対していることは当然だが、もっと10年間遡ってこの制度の根幹を見つめなおして欲しい。

もともとこれらの法案が提出された背景には、後期高齢者、かつては老人保健法にもとづく医療を受けていた人々の高齢者医療費の拠出金が各保険組合、特に市町村国保の運営に大きな負担になってきていることをふまえ、何とかして国民皆保険制度を守ってこうという思想が根底にあった。ほとんどが国保に加入している有病率の高い75歳以上の高齢者は国全体で手厚く保護すべきである。政管健保(現・協会健保)、組合健保などは定年制や肩たたきで出来るだけ早く地域の国保に有病率の高まりつつある組合員を移動させてしまった。その結果、老人拠出金、介護拠出金を一般会計からの繰入金で凌いでいる国保がほとんどとなっている。こうして地域の職域国保や市町村国保だけに負担をかけては国民皆保険制度が崩れてしまうのは当然である。

しかし、こうした国民皆保険制度の根幹が忘れられて、保険料の年金からの天引きがひどいとか、保険料が高いとか、制度検討の結果であるいわゆる施行規則に等しいような今回の諸問題点だけに声を大きくして、この制度そのものを廃止せよという考えは冷静ではない。政治家のどなたかが言ったように保険料の天引き制だって高齢者にとっても面倒くさくなくてよいと私も思う。

しかし、もしも後期高齢者医療制度をゼロに戻したなら、どの程度の経費が無駄になるか、国保連合会の資料等をもとに、ある大学教授(希望により名を秘す)と計算してみた(図表15)。最低限に見積もっても5,500億円と図表に書いてあるが、プラス・アルファは1,000億円は超えると想像され、7,000億円程度をゴミ箱に捨てることになる。従って、民主党がゼロに戻すなら、根本的な政策の一つである経費の節減、無駄遣いの廃止に、反することになるのではないか。後期高齢者医療制度の根幹を利用して新しい高齢者保険制度を作ったからといって、国民は公約違反とは言わないだろう。

図表15(拡大版)

政権が変わったら前の政府が決めたことをすべてゼロに戻すのはいかがなものか。冒頭、歴史の項目で述べたように、東条内閣が決めた強制加入の国民保険制度だからといって、戦後の東久邇宮内閣、幣原内閣、吉田内閣はゼロには戻さなかった。まして内閣以上の権力を持っていた占領軍司令官マッカーサーは戦前の保険制度を温存させた。それがもとで昭和36年の国民皆保険制度が成立したのだ。それが大人の熟成した政策である。

政党は変っても国民のためになる政策は継続性をもって欲しい

6.救急の現場−埼玉方式の例

上に述べた労働基準法に常に違反して救急医療を守っている医師達は、異口同音に我々は給与アップを望んでいるのではない、よい労働条件が欲しいのだ、と言う。とくに三次救急を行っている医師達の勤務状況は劣悪そのものである。いくら高給を提示しても医師仲間が少なければ病院に勤務医は集まらない。誰も自分の健康や家族の団欒を犠牲にしてまで働かない。つまり「疲弊型立ち去り現象」が全国で起こっていることはご承知の通りである。

それでも現場の医師達は、地域の救急医療を何とかしようと努力している。例えば埼玉県医師会では「周産期・小児救急医療体制整備委員会」というものを作っている。県内の基幹病院の幹部クラスの医師達、現場の開業医達、そしてオブザーバーとして県庁の職員も入って救急現場をどうするか討議している。その結果提案されていることが二つある。

@ 地域医療福祉コンソーシアム

平成14年、16年、18年の3回の診療報酬マイナス改定で病院の経営は困窮している状態が持続し、特に病院勤務医の過重労働などによる労働環境の悪化により、俗にいう「疲弊型立ち去り現象」によって医療崩壊になっているといっても過言ではない。特に埼玉県においては、人口10万人当たりの病床数も少なく、医師数においても都市部への集中・偏在化という全国的な現象の余波をうけて、医師は限界まで頑張っているが十分に県民に安全かつ良質な医療を提供できないのが現状である。

一方首都圏の一角に位置することから、若い年代層が増加しつつあり、県民人口は700万人を超えてきている。その関係か年間出産件数は約6〜7万人であり、少子高齢化の全国的な傾向とは少し異なっている。当然分娩数に応じたハイリスク分娩に伴う母体搬送の件数も多く、県内のみでは現状は対応できない状態であり、既に埼玉県医療対策協議会において、埼玉県医師会母子保健委員会より県に報告が出されているように、県内の母体搬送は19年(1月〜12月)で978件のうち144 件(14.7%)が県外であり、そのうち76%は東京都に搬送していた。

その東京都ですら昨年10月4日に妊娠中に脳内出血で受け入れ医療機関がなく産婦が死亡するという痛ましい事件が発生した。このことに関しては後述する。

周産期救急に関しては、母体搬送システムの構築と同時にNICU(新生児集中治療室)の早急な増設、総合周産期母子医療センターの増設、周産期医療を担当する小児科医・産科医の確保などが重大な課題となっている。一般の小児救急問題については後述のように、小児科や内科の開業医の休日急患診療所や基幹病院への救援体制参加という動きが出てきたがその整備状況はまだまだその端緒についたにすぎない。

埼玉県医師会では県の主催する医療対策協議会と並行して平成20年度に埼玉県医師会周産期・小児救急医療体制整備委員会を立ち上げ、現場の立場や声を重視しつつ、本年5月22日、7月1日、9月25日の3回にわたって産婦人科及び小児科の先生方に討論をしていただき、また県の行政の方々にもご意見を頂きながら、今後の方向性をまとめたのでここにご報告し、また提言させていただく。

(ア) 現状分析

(@)総合周産期母子医療センターの現状

厚生労働省では平成8年人口100万人に対して総合周産期母子医療センター1つ、NICUは出生1,000人に対して2.0床配備することが、望ましいとしている。しかし、近年ハイリスク分娩率は上昇し、厚労省から調査委託を受けた委員会の発表では、出生1,000人に対して3床となっている。

これによると、総合周産期母子医療センターは、埼玉県の人口動態から4〜7施設が必要である。しかし、埼玉県の現状は埼玉医科大学総合周産期母子医療センターが1つのみであり、 妊娠20週など、他施設で対応できない超ハイリスクの新生児を積極的に受け入れているため、比較的軽度な新生児を含め、60%近くを断っているのが現状である。また、超ハイリスクを受け入れるため、NICUを長期間使用することになり(つまり退院できないため)、NICU不足をますます加速させている。本県では少なくとも現時点で100床程度不足している。

総合周産期母子医療センターが極端に不足していることにより(関東地方で最低)、周産期母子医療は極めて危険な状況と言わざるを得ない。

埼玉県は幸いなことに南は東京都と接し、東は千葉、茨城、北は群馬、栃木と四面を各県と地続きで接しているので、母体搬送については、先に述べたように19年で総搬送978件のうち県外搬送は144件(14.7%)である。一方、新生児の県外搬送は150〜200件との事である。

(A)短期的視点(喫緊の措置を必要とする事柄)

@上記の現状を踏まえて周産期母子医療センター(総合(3〜4箇所)と地域を合わせて)は県内に9〜12拠点が必要である。

まず、埼玉医科大学総合周産期母子医療センターにおけるNICUの増床。ただし、母体搬送コントロールセンターの役割を同医科大学の医師たちが現場の仕事の合間に行っている現状では、医師たちが更に疲弊してしまうので、これ以上依存することは無理かと思われる。

次いで、県立小児医療センターに総合周産期母子医療センターを設置することが望ましいが、当面は自治医科大学附属さいたま医療センターに総合又は地域周産期母子医療センターを設置し、県立小児医療センターに協力を求める。県立小児医療センターのNICUの増床と新生児搬送のための特殊救急車の整備し、ある程度の総合病院機能を持たせるためには県立がんセンターとの連携協力すら検討しなければならないだろう。

(イ)「地域医療福祉コンソーシアム」の構築を

救急問題は一地域だけの一人勝ち、或いは自己完結ということは在り得ない。

このためには東京都及び近隣県の知事レベルで話し合い、「地域医療福祉コンソーシアム」(ラテン語consortium;組合、海運業界では共同配船、または国際借款団といった意味があるが、ここでは各都県が共同して国の助成金などを利用しあうという意味で用いている)というようなものを構築し、周産期患者ばかりではなく、小児科患者、更には要介護患者の相互受け入れ体制を協議する。埼玉県は東京都に頼っているだけではなく都民を県内介護施設に多く受け入れているように、持ちつ持たれつの連係プレーが必要である。

図表16(拡大版)

図表16のように、例えば、急性期を含む一般病床は本県から他県へ流出が多いが長期療養病床では他県からの流入が多い。17年度の入院患者数(全病床)では本県から東京への流出数は5,100人、東京都から埼玉県への流入数は5,500人で、東京都から400人の流入超過である。またこの表には書かれていないが、20年2月1日現在、埼玉県の特別養護老人ホームと介護老人保健施設全入所者28,463人中、1,622人は東京都からの入所者である。このように近接地域での現場では県域にこだわらず患者が行き来しているので地域医療福祉コンソーシアムの構築が必要であろう。

特に、救急患者の搬送については、お互いのドクターヘリも融通し合うことが必要であり、特に県外搬送ではヘリ指令センターの柔軟な対応が求められる。そのために埼玉県では全国で始めて、防災ヘリの患者移送、夜間飛行の許可、高速道路への離着陸を行っている。

A 多極ネットワーク型周産期医療体制

現在、埼玉県全体をカバーするネットワークは作られていない。

在胎週数28週未満の超早産で生まれたハイリスク新生児の治療が可能なNICUは、西部地域の埼玉医科大学総合医療センター総合周産期母子医療センターNICU(川越市)、埼玉医科大学NICU(入間郡)、国立西埼玉病院(現:独立行政法人国立病院機構 西埼玉中央病院)NICU(所沢市)、県央地域の川口市立医療センターNICU(川口市)、さいたま市立病院NICU(さいたま市)と県立小児医療センターNICUしかない。県内北部地域、東部地域、南部地域、つまり荒川を挟んで北部、東部、南部にはこのようなハイリスク母胎やハイリスク新生児の総合的治療が可能なNICUを有する施設は存在しない(図表17)。とくに人口増加の著しい埼玉県東部地域には獨協医科大学越谷病院、越谷市立病院等があるが、ハイリスク新生児への対応が難しく、県立小児医療センターが辛うじて対応している。また、埼玉県北部地域は深谷赤十字病院、厚生連熊谷総合病院はあるが、小児科医師の減少により周産期施設としての機能を持っていない。母胎搬送先が不足しているため、周産期施設への母胎搬送が不可能な場合、県内各所の開業産婦人科などに県立小児医療センター未熟児新生児科医が新生児専用搬送車で出向き、分娩立会いをした後新生児蘇生処置をしながら県立小児医療センターNICUに搬送し治療にあたっている。さらに特殊な治療を要する超重症ハイリスク新生児や新生児外科疾患を有するハイリスク新生児は、小児専門病院機能を有する県立小児医療センターNICUが主に引き受けている状況にある。

図表17(拡大版)

埼玉県立総合病院と同列にあるべき総合周産期母子医療センターの設置が未だなされていないため、埼玉県全体、特に北部東部南部地域の周産期新生児医療は壊滅的な状態にある。

さらに図表17のように、利根川、荒川にはさまれる地域は河川の氾濫や大災害時には道路、橋梁の交通網遮断が起こる可能性があり、唯一総合周産期センター母体救命施設の集中している西部方面の基幹病院に頼ることが困難となることが想定される。また埼玉医科大学や防衛医科大学校のコンピューターがダウンしたときの非常事態にも備えるために荒川東部、北部、南部地区に最低一つは総合周産期母子医療センターを作っておかねばならない。

しかし、周知のように県費は足りないので、短期的な窮余の一策として荒川東部の多極ネットワーク型周産期体制を、県医師会と埼玉県は検討している。民主党による新政府がこれらの点に支援してくれることを願っている。

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W 社会保障の財源をどうするか

財源論については医師達は素人である。財源論に関する制度設計は政治経済学の専門家でなければできないが、医師は現場の声を伝えることは出来る。制度設計者は謙虚に現場の声を聞いて財源論を組み立てて欲しい。多くの学者は医療の現場をほとんど理解しているが、政治家や厚労省の官僚たちにそのことを理解して欲しい。

医療や年金の財源のひとつとして特別会計が上げられているが、これは年々変化して永続的なものではないし、不透明性が否めない。そして、200年前にイギリスのエドマンド・バーク議員が大演説をして、特別会計をなくしたようなことも起こるかも知れないから(県医師会ホームページ・シリーズ4)、あまりあてには出来ない。民主党も予算の使い切りとか、秘匿を止めることなどを言っているから、透明化すれば特別会計はなくなるかもしれない。

最も国民のコンセンサスが得やすいのは消費税の社会保障費特化であろう。いままで何度も述べてきたように、日本国民は低負担高保障を志向してきたが、殆どの社会保障先進国は中福祉・中負担または高福祉・高負担である。もうそういう時代になっていることを、国民も認識し始めた。

図表18(拡大版)

ここで私は軽減税率やゼロ税率を含めた消費税のアップを主張しておきたい。図表18にあるように国民の生活にかかる必需品には今までどおりの5%消費税でもよい。高額な贅沢品や嗜好品には段階的に消費税を上げるべきである。例えばイギリスでは医療・教育などには非課税、食料品・上下水道・書籍・医薬品・子供の衣料品などはゼロ税率である。色々な品目があるから煩雑だと言う人もいるだろうが、ただ単に10万円、50万円、100万円、1,000万円、5,000万円というように、3%程度ずつ上げることは簡単であろう。ただし、消費税が所得の何割以内という上限を定めておく措置が必要だろう。

本年10月11日の学会(前述)で権丈先生は、消費税を軽減していっても、例えば、食料品は金持は沢山食べるから駄目だと言われた。しかし金持は高給料理店で数万円も使うが、庶民はファミレスで数千円の食事ですませる。やはりレジで5千円払う人と10万円払う人の消費税が同じということは気の毒でもあり、公平ではない。洋服しかり、自動車しかり、建物しかりである。ただし、EUは軽減税率に反対していることは知っているが、それは、各国の文化や制度格差、そして、住民収入格差を考えれば統一は不可能だからであって、各国が独自に制度検討すべきなのだと思う。ただ、その時権丈先生が言われたように収入に応じた保険料率の格差は当然だと思うし、そのことは後期高齢者制度の項でも、中国・韓国の保険史の項でも述べてある。

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X 結びに

いろいろ述べてきたが、これからの時代は医師はもっと政策に関わって声を強めるべきであり、その意見は国民と共有し納得されるものでなければならない。そして、国民のためになる政策を是々非々でも主張すべきである。

国民皆保険制度を守り育てていくためには、我々医師は政治家や経済学者等と率直に意見を交換していくことが必須である。

参考文献

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